インタビューINTERVIEW
成功まで共にやり抜く
成功まで共にやり抜く
1988年、愛知県出身。
2011年、早稲田大学社会科学部を卒業後、大手繊維系専門商社の豊島株式会社に入社。綿の現物/先物取引に従事。
2012年~2015年、US支社にて勤務し、世界中のサプライヤーからの買付を担当。日本に帰国後は株式会社ビズリーチ(現ビジョナル株式会社)のインキュベーションカンパニーにて新規事業(HRクラウドシステムHRMOS)立ち上げに従事。
2017年に再渡米後、2019年より株式会社GLOWKEYへ参画。現在は主にファイナンスからオペレーション、組織構築・HRなど会社運営全般の業務に携わりながら、社員が「この会社に出会えてよかった」と思える環境となるように日々奮闘中。
「仕事に打ち込むのは、自由な人生を楽しみたいから」。
そう話す眼差しは、目の前の現実を捉えながらも、遠い未来を見据えているようでもある。日の出とともに目覚め、サーフィンでスイッチを入れてから仕事へ向かう――。その生き方は自由そのものだが、同時に成長著しいGlowkeyへ人を集め、育て、会社をドライブするという重責も背負っている。
大手商社でのキャリアに別れを告げ、ロサンゼルスからGlowkeyの舵を取る取締役兼CHRO・戸塚が考える仕事と人生、そして一緒に働きたいと思う人材とは。
「海外で働きたい」という理由から大学卒業と同時に大手商社へ就職。
念願かなって米国駐在員としてアメリカへ渡ったものの、現地で目の当たりにしたのは安定のために自らの人生を犠牲にする先輩商社マンたちの姿でした。
売上4,000億円の大企業。そつなく役割をこなせば将来は約束されていたものの、自分の意志とは関係ないところで進むべき道が決められていく――。
そんな“他人まかせ”の人生にあらがうように27歳で日本のスタートアップ企業へ転職。プロジェクトリーダーとして事業の立ち上げに携わっていた頃、アメリカに住んでいた妻と結婚するために再渡米したタイミングで代表の関と出会いました。
商社ではサラリーマン、スタートアップ企業ではサラリーマンと経営者の中間ポジションを経て、「次は自分の責任は自分でしか取れない仕事をしたい」と願っていた私にとって、「一緒に経営を担ってくれないか?」という関からの誘いは渡りに船。
しかし当時、社員十数名だったGlowkeyへ加わることに迷いがなかったといえば嘘になります。
半年ほどかけ悩み、関からの献身的な誘いも後押しになり、最終的に「楽な環境より、チャレンジングな環境」に身をおこうと転職を決断しました。
「創業間もない越境ベンチャー企業を経営する」と聞くと寝る暇もないハードワークを想像するかもしれません。商社時代は毎朝6時に起きて夜中2時まで働くこともざらでしたが、Glowkeyに入って、ワークライフバランスは大きく改善しました。
そんな僕のLA生活の中心となっているのがサーフィン。毎朝4時~5時に起床して、家からクルマで30分くらいの海岸で波に乗り、その後帰宅して始業する…というのがルーティーンになっています。
実は先日、これまで出会ったことのない大波に遭遇したのですが、その波に乗った瞬間「自分の人生はこの波に乗るためにあるのかもしれないし、これが楽しめるのも家族の存在や仕事があるからなんだ…」という悟りにも似た気づきがあったんです。
だから、僕にとってはまず「家族」と「サーフィン」があって、その次に仕事があると考えています。
当面の目標は、2025年までに売上30億円を達成すること。そこに向かって、一緒に働いてくれる仲間を集めているところです。
採用に際しては、当然その人の経験やスキルも大切ですが、僕はそれよりも「明確な目標を持って生きているか」という点を重視しています。
僕のとってのサーフィンがそうであるように、仕事と遊び(=人生を楽しむこと)は表裏一体。だから、これからGlowkeyに加わる人にも、何か夢中になれることや目標を持っていてほしいと思うのです。
それが、「誰の援助を受けることなく、アメリカで自立できるようになりたい」でもいいですし、「まだ観たことのない人生最高の映画に出会いたい」でも構いません。何かひとつ人生をかけて向き合うものがあれば、仕事にも当事者意識が持てるし、自分の仕事に打ち込めるはずですから。
大きな目標をクリアして信頼できる仲間たちと力いっぱいハイタッチする――そんな人生における最高の瞬間をぜひGlowkeyで一緒に迎えましょう。
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